『あの頃ペニー・レインと』 観察者が観察者であり続けようとすることの難しさ
観察者が観察者であり続けようとすることの難しさ
あらすじ:ブレイク寸前のロックバンド「スティルウォーター」のツアーの同行取材を任された15歳の少年ウィリアムの姿を描いた青春音楽ムービー。ウィリアムはグルーピーの少女、ペニー・レインに恋をしている、しかしペニー・レインはスティルウォーターのカリスマギターリスト、ラッセルと関係を持っている。バンド間にも様々な問題を抱えつつ全米ツアーは続いていく。第73回アカデミー賞脚本賞を受賞作品
2000年公開のこの作品、最初に見たのはテレビの深夜放送だったことを覚えている。あの頃は、盛り上がりがピークに達しないのに何故か面白い作品だなぁと不思議に思ったことをよく覚えている。
数年ぶりに見たがあの時の印象そのままで盛り上がりがピークに達しないローテンションでどこか魅力的な作品だった。その不思議な魅力の1番のポイントは、主人公が観察者であることから醸しだされていると思う。
バンドを取材する、ウィリアムは世界の中心になることが無い存在で、それを望んでいる。たまに中心に近づきすぎて、ペニー・レインと接近するも、曖昧な笑顔で離れていく。それでいて、一切影響しないことは出来ない。
「ビーカーに入った水の温度を温度計で計ることは出来ない」この言葉を思い出した。
温度計の温度がビーカーに伝わって、正確な温度を計ることが出来ないと言う意味の言葉だ。
バンドに一切影響を与えることなく観察することは不可能である。
ラッセルはバンドを続けるのか?
ベニー・レインはモロッコでどんな生活を送るのか?
ウィリアムは雑誌ライターを続けるのか?
輝いていたあの時代、みんなが集まって世界が形成されるけど、その時間が過ぎるとそれぞれ別の場所へ移動する。そんな話しがすごく好きだ。