映画レビュー 999

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『岸辺の旅』 生きている“撮照録” 死んでいる人間

生きている“撮照録” 死んでいる人間
 
あらすじ:第68回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門で監督賞を受賞した、黒沢清監督の作品。3年前に夫の優介(浅野忠信)が失踪した。妻の瑞希(深津絵里)は、その喪失感を経て、ようやくピアノを人に教える仕事を再開した。ある日、突然帰ってきた優介は「俺、死んだよ」と瑞希に告げる。「一緒に来ないか、きれいな場所があるんだ」との優介の言葉に瑞希は2人で旅に出る。それは優介が失踪からの3年間にお世話になった人々を訪ねていく旅だった。旅の中でお互いの深い愛を改めて感じていく2人だった。
 
 
レビュー:人物の出入り、カメラの動きは黒沢清作品なので承知はしていたが、光も動き音も動いていた。
浅野忠信が幽霊となって帰ってくる始めのシーンでは、カメラがスーっと動いて、他のカットを挟んでそこに居る。CGでフワッと出るのではなく、幽霊の登場は全てカット変わりで出てくる。そのシーンの窓外が真っ暗になっている。
通常は街灯や、内側の明かりなどが反射する。
小松政夫がいなくなるシーンでは、ベットの後ろのカラフルな切り抜いた紙の花を貼り付けた壁が、徐々に照明が当たり明るくなる。理屈は分からないがそうゆうことが起こる。
深津絵里村岡希美のシーンでは画面がスッと暗くなる、照明を暗くする事でそのシーンを作っているそうだが、このシーンは黒沢清監督のインタビューを読むと、理屈としては太陽が雲に入って暗くなる現象の再現らしい。実際に起こることでも、映画のルールから外れることがある。
カメラが動いて、人物が動いてスッーと構図に収まる。妹の話をしていると、どこからとも無く子供の声が聞こえる。子供は映らないが、画面外を強く意識できる構造になっている。
 
幽霊とはなにか?の定義が一般常識からずれているので、そこに興味をひかれる。幽霊を視覚的に表現する際は、生きている人間と幽霊の違いを見せる、それは、足がなかったり、透明だったり、視覚的な違いがあが、「岸辺の旅」に出てくる幽霊は視覚的にはまったく普通の人間と変わりがない。何も言わなければ普通の人間と見分けがつかない。
新作を作る度に、幽霊の新ルールを作り出す黒沢清監督。
作品ごとに、宇宙人のルールが違うスピルバーグに共通する部分も多く感じられる。

 

岸辺の旅 (文春文庫)

岸辺の旅 (文春文庫)