映画レビュー 999

映画の感想を次々書いて行きます。 ご意見ご感想もお待ちしてます。 映画について語れたら嬉しいです!

『アデルブルーは熱い色』永遠には続かない長い春

永遠には続かない長い春

 

あらすじ:2013年・第66回カンヌ国際映画祭パルムドール受賞作。デートへ向かう途中、街中ですれ違った青い髪の女性エマ(レア・セドゥ)に周囲の人とは違う何かを感じる女子高生のアデル(アデル・エグザルコプロス)。その後、バーでエマと再会。アデルは彼女に惹かれていく。やがて二人は激しく愛しあうよになってる。7年後、教師になったアデルはエマと一緒に暮らしていた。エマはアデルをモデルに絵を描きアデルは幸せをかみしめていたが、エマの作品披露パーティが催された頃からエマの態度が以前と変わったように思い始める。

 

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食べる、寝る、性行為、人生はこれの繰り返しでそれを仔細に描くことでその人が見えてくる。

冒頭ゆるめの画角の扉から始まる嫌な予感、扉から出てくるアデルにつけてパーン、バスに乗り込む。映画の素晴らしさは冒頭で決まる。と思っている私はこのカットで

この映画に嫌な予感を感じてしまった。

が嫌な予感ははずれ、そのカット以降はこれでもかって程のクローズアップの連続。映像のクオリティ=作品のクオリティではなくもしから、些細なことなのかもしれないと思うほどだ。

 

思い出すのは去年見たグザヴィエ・ドラン「わたしはロランス」恋人が居る男性が女性になりたいと告白してからの恋人との愛の築き方に関する映画で、ジェンダーに関する話でありながらも男女関係なく純粋に愛に関する映画だった。長い年月を描いている点。主人公の職業が教師という共通点もある。「わたしはロランス」はややファンタジーとも取れる跳躍があり、「アデルブルーは熱い色」は現実に肉薄している。

 

女子高生の時に起きる愛に関する迷いに関する話しだと思いきや、クローズアップ、じっくりとした人間描写によって、それは純粋に愛に関する話しと気づく、愛とはもしかしたら

男女関係なく落ちるものなのかもしれないと思わせることに成功している。話しは7年後になり、二人の愛は消えていく、最後エマと別れたアデルはパーティで出会った男と恋の予感を感じさせる。

アデルのエマに感じた愛は永遠には続かない長い春だったのかもしれない。

 

この作品を撮ったのは「アブデラティフ・ケシシュ」アフリカ系フランス人で他の作品は未見なのでこれから特集上映が組まれることを願いたい。

 

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『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ』 不在のメタファー映画

メタファーだらけに見えてそのメタファーの存在が感じ取れない、不在のメタファー映画

 

あらすじ: 吸血鬼でありながら、どんな弦楽器でも弾くことができるミュージシャンとして活動中のアダム(トム・ヒドルストン)。

アンダーグラウンドな音楽シーンに身を置いて人間たちと共存しているが、何かと自己破壊的な言動を取る彼らに対して複雑な思いを抱いていた。そんな中、何世紀も恋人として愛し合ってきた同じ吸血鬼のイヴ(ティルダ・スウィントン)が、アダムが暮らすデトロイトへとやって来る。久々の再会を楽しもうとする二人だが、イヴの妹エヴァミア・ワシコウスカ)が現われる。

 

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メタファーを掴みそうになるが手の中からこぼれ落ちてしまう。

それは、見るもの(わたし)自身の経験値不足か、それを計算に入れての作品なのか。

例えば「ロスにあふれるゾンビ」いかにも比喩的な存在だ。それを、業に染まった人間達と捉えるのはあまりにも安易だし、それをジャームッシュは是としていない気がする。

例えば「デトロイト、モロッコ、ロス」この各所も意味ありげし「音楽を愛するヴァンパイア」「アダムとイヴ」・・・

上げればきりがないが、それは考えるだけ無意味だし、オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴを語る上でそう重要なことではない。

この映画が素晴らしいのは純粋映画と言うことだろう。

冒頭俯瞰の回転しながらズームしていき、そこに音楽が被さる、この気持ちよさトリップ感にイッキに持って行かれた。

すべてに一貫していたのは「美しさ」もうすべてが美しい。アダム(トム・ヒドルストン)イヴ(ティルダ・スウィントン)が裸でベッドに寝ているカットのうつくしいこと

こんなに美を感じる映画はあまり見たことがない。

 

血のアイスを食べて、死体を底なし沼に沈めて、カップルを襲い餓死を免れる。

 

ぜんぜん関係ないが、幽遊白書の雷禅が「あぁ腹減ったな」と言って餓死する名シーンを思い出した。

 

 

 

 

 

 

『ザ・マスター』 天才ポール・トーマス・アンダーソン

天才ポール・トーマス・アンダーソン

 

あらすじ:第二次世界大戦末期。海軍勤務のフレディ・クエル(ホアキン・フェニックス)は、ビーチで酒に溺れ憂さ晴らしをしていた。やがて日本の敗北宣言によって太平洋戦争は終結。だが戦時中に作り出した自前のカクテルにハマり、フレディはアルコール依存から抜け出せず、酒を片手にカリフォルニアを放浪しては滞留地で問題を起こす毎日だった。ある日、彼はたまたま目についた婚礼パーティの準備をする船に密航、その船で結婚式を司る男と面会する。その男、“マスター”ことランカスター・ドッド(フィリップ・シーモア・ホフマン)は、フレディのことを咎めるどころか、密航を許し歓迎するという。フレディはこれまで出会ったことのないタイプのキャラクターに興味を持ち、下船後もマスターのそばを離れず、マスターもまた行き場のないフレディを無条件に受け入れ、彼らの絆は急速に深まっていく。マスターは“ザ・コーズ”という団体を率いて力をつけつつあった大物思想家だった。独自の哲学とメソッドによって、悩める人々の心を解放していくという治療を施していたのだ。1950年代。社会は戦後好景気に沸いていたが、その一方では心的外傷に苦しむ帰還兵や神秘的な導きが欲されていた時代であり、“ザ・コーズ”とマスターの支持者は急増していった。フレディにもカウンセリングが繰り返され、自制のきかなかった感情が少しずつコントロールできるようになっていく。マスターはフレディを後継者のように扱い、フレディもまたマスターを完全に信用していた。そんな中、マスターの活動を批判する者も現れるが、彼の右腕となったフレディは、暴力によって口を封じていく。マスターは暴力での解決を望まなかったものの、結果的にはフレディの働きによって教団は守られていた。だが酒癖が悪く暴力的なフレディの存在が“ザ・コーズ”に悪影響を与えると考えるマスターの妻ペギー(エイミー・アダムス)は、マスターにフレディの追放を示唆。フレディにも断酒を迫るが、彼はそう簡単にはアルコール依存から抜けることができなかった。やがてフレディのカウンセリングやセッションもうまくいかなくなり、彼はそのたびに感情を爆発させ、周囲との均衡が保てなくなっていく……。

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ブギーナイツマグノリアと群像劇で“人間”を描き、ロバート・アルトマンの再来と呼ばれた、天才ポール・トーマス・アンダーソンが群像劇をやめた三作目パンチドランク・ラブでは若干筆休めをした感があったが続くゼア・ウィル・ビー・ブラッドでは恐ろしいほどに“人間”そのものを炙りだすように描いて近年まれに見る名作を創りだした。血は石油よりも濃い。そして今作のザ・マスターではゼア・ウィル・ビー・ブラッドでもキーマンとなっていた宗教家を中心に据えて物語を展開している。

と外堀を説明した訳だが、正直【ザ・マスター】を消化しきれてないためにだらだらと駄文を連ねたわけだ。

もちろん、ホアキン・フェニックスの怪演 フィリップ・シーモア・ホフマンの名演、パーフェクトな撮影(写真館での正面切り返しからの代名詞の長回し、荒野でのバイク)音楽とのシンクロ、とそれだけでこの映画がとんでもない名作であることには間違いないが、PTAの映画でいつも感じる、外側からじょじょに中心に寄って行き最後には真ん中にある“もの”をふっと浮かび上がらせるそれを発見することが出来なかったことによる戸惑いがある。

“マスター”とは教祖ということだろうが、彼のカリスマとして素質はどうだろうか?

序盤からフィリップ・シーモア・ホフマンが教祖の素質(完璧なカリスマ性)がないことを見せてしまっている。暴飲するし、すぐ切れる。これはカリスマとして素質があるとは思えない。

序盤カリスマ性を見せといて 「あぁこいつ対したことなかったな」と洗脳が溶ける展開がわかりやすいが初めから洗脳に失敗している。(観客への見て方として)

そしてホアキン・フェニックスと言えば戦争によって怪物になったと言えばそうとれるが、そうではなく純粋怪物として見るべき存在だ。純粋怪物のホアキン・フェニックスはマスターのセッション(洗脳)によって人間になっただろうか?

恐らくまったく人間になっていない。最後の再開のシーンではお互いを認め合うように別れる。そしてバーの行きずりの女とセックス。ホアキン・フェニックスがマスターになった瞬間ということなのだろうか。熟考が足りないか。

 

洗脳映画【時計じかけのオレンジ】を一番最初に思い出した。特に語れるほどの突破口を見つけ出せていないが、両作とも最後はセックスで終わる映画だ。

 

 

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『オブリビオン』オマージュとごちゃまぜのごった煮SF ※ネタバレ注意

オマージュとごちゃまぜのごった煮SF

 

あらすじ: エイリアン“スカヴ”の侵略を食い止めたものの、その戦いによって地球が半壊してから60年。生き残った者たちがほかの惑星へと移住してしまった中、ジャック・ハーパー(トム・クルーズ)だけが地球に残って上空から偵察していた。パトロールに向かっていた彼は、誰一人として生存しているわけがないエリアで何者かの襲撃を受けてしまう。混乱するジャックの前に現れたのは、ビーチ(モーガン・フリーマン)という謎の男。宇宙船の不時着によってやってきた謎の女性ジュリアジャックは彼女との記憶がじよみがえり始める。

ジャックとジュリアは不時着した宇宙船からフライトレコーダーを探しに向かったが、スカヴに見つかりとらわれてしまう。

※ここからネタバレ

囚われたジャックとジュリアだったがスカブのリーダー、ビーチは助言だけ残して逃がしてもらう。

記憶が戻ったジャックは居住区にいるヴィクトリアにも真実を教えここを去ろうと伝えるがドローンに襲われて殺されてしまう。

ジャックとジュリアはスカブの元へ向かう。そこで真実を知らされる。

ジャックはクローン人間であること。

60年前ジャック、ジュリア、ヴィクトリアは同じ宇宙船の乗組員でタイタンに向かう途中で事故が起きてジャック、ヴィクトリア以外が地球に不時着したこと。

地球人と戦っていたのは宇宙人ではなく機械だったこと。

 

真実を知ったジャックは、司令を出していたサリーがいるとされる衛星に向かう。

反乱を起こした機械を自分もろとも爆破して地球は再び人類の物となった。

 

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レビュー:冒頭ジャックの語りでなぜ自分たちがここにいて地球がこのような状態になってるかを全部説明する。

全部説明しちゃって映像的に見せる事を放棄しているが、それにかぶさる映像が素晴らしく一気に説明することに成功している。それと未来的様式美にデザインされた、飛行機や居住空間のかっこ良さは注目。

この映画の前半は【何かが起きる感】が緊張感をあたえていて凄く引きこまれた。

物語のキーになる“スカヴ”は見えそうで見えないし、ジャックは何度もバランスを崩してピンチを招く。

ジャックが地上にいるのをヴィクトリアが中継して見守っている。この構図はジャックがすることを解説してくれているので見やすなっていた。

 

話が続くにつれSF映画のマージュが溢れ出してくる。

地球は、猿の惑星の地球そっくり(スターウォーズのルークが住んでいた砂漠の惑星タトゥイーン風でもある)

猿の惑星へのオマージュですと言わんばかりに倒れた自由の女神をしっかりと登場させている。

 

ジャックの乗る飛行物とドローンの戦闘シーンはスターウォーズそのまんまだった。

 

スカヴ達がつけるマスクはプレデター・・・?。

 

スカヴ達の描写はマッドマックスそっくり

 

ジャック達が乗っていた宇宙船の名前は「オデッセイ」これは「2001年宇宙の旅(A Space Odyssey)」からきているのか。

後半の展開、機械の反乱はまさに2001年宇宙の旅を彷彿とさせる。

 

私は見つけられたのはこのくらい、わかりやすいオマージュがたくさんあるので探して見て下さい。

 

 

物語は何かが起きる感で引っ張りごちゃごちゃといろいろなことが起きる。

羅列すると。

●宇宙人だと思っていたスカブは人間

●ジュリアはジャックの結婚あいて(任務に着く前に記憶を消されている)

●三角関係

●ジャックはクローン人間 機械から生まれた

●味方だと思っていた人間は機械

●地球を襲ったのは機械で実行したのは大量のジャック

 

 

これらのことがごちゃごちゃと起きるのでツッコミどころ満載になっている。

つじつま合わせをする尺なんてないから強引にすすめたれ!と製作者の声が聞こえてきそう。

だが、実際ここまでされると細かいことが気にならなくなってる。三角関係の描写いらないだろうと思うが、ごちゃごちゃさせることに一役かっている。

ジャックが機械を爆破させてから数年後、ジュリアと子供達が生活しているところに死んだジャックではないジャックが現れて。ジュリアとジャックは再び再開しハッピーエンド。みたいに終わるがさすがにこれは笑った。その人違う人だけど!と誰もが突っ込んだはず

そもそもいつの間に妊娠したの!?

と、その他にもつっこみどころ満載だけど、いろいろと楽しめる作品です。

 

 

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映画芸術 2012 トップ10&ワースト10

映画芸術2012 トップ10&ワースト10+若松孝二

 

映画芸術 2013年 02月号 [雑誌]

映画芸術 2013年 02月号 [雑誌]

 

 

なぜか表紙がウェスアンダーソン『ムーンライト・キングダム』の映画芸術 422号 トップ10&ワースト10 の結果

 

【ベストテン】

1位 『かぞくのくに』(監督/ヤン・ヨンヒ

1位 『苦役列車』(監督/山下敦弘

3位 『Playback』(監督/三宅 唱)

4位 『旧支配者のキャロル』(監督/高橋 洋)

5位 『桐島、部活やめるってよ』(監督/吉田大八)

6位 『先生を流産させる会』(監督/内藤瑛亮)

7位 『黄金を抱いて翔べ』(監督/井筒和幸

8位 『ライク・サムワン・イン・ラブ』(監督/アッバス・キアロスタミ

9位 『その夜の侍』(監督/赤堀雅秋

10位 『SR サイタマノラッパー ロードサイドの逃亡者』(監督/入江 悠)

*『かぞくのくに』『苦役列車』は同率1位

 

【ワーストテン】

1位 『希望の国』(監督/園 子温)

2位 『ヒミズ』(監督/園 子温)

3位 『夢売るふたり』(監督/西川美和

4位 『アウトレイジ ビヨンド』(監督/北野 武)

5位 『あなたへ』(監督/降旗康男

5位 『ヘルタースケルター』(監督/蜷川実花

7位 『悪の教典』(監督/三池崇史

8位 『鍵泥棒のメソッド』(監督/内田けんじ)

8位 『桐島、部活やめるってよ』(監督/吉田大八)

8位 『終の信託』(監督/周防正行

*『あなたへ』『ヘルタースケルター』は同率5位

*『鍵泥棒のメソッド』『桐島、部活やめるってよ』『終の信託』は同率8位

 

ベストテンの中で見ているのは『苦役列車』『桐島、部活やめるってよ』『黄金を抱いて翔べ』で大きいことを言える立場にないが、苦役列車の1位は文句なく、それでいて意外性を欠いたランキングだったと思う。

見れなくて残念だったのは 『Playback』(監督/三宅 唱)CO2で撮った『やくたたず』を見ているだけに残念だ。 『ライク・サムワン・イン・ラブ』(監督/アッバス・キアロスタミ)“あの”キアロスタミが日本で撮った!これは間違いなく傑作であり、事件だ。だが公開期間も短く足を運ぶことができなかった。

 

去年公開の映画でこのランキングで17位に入っている『親密さ』(監督/濱口竜介)を今年に入ってから見た。

この映画尺が255分あり、オールナイトでないと上映ができず、広く見てもらうことができない。自主制作で255分役者は皆学生の映画を一般公開することは、もはや不可能だと思われるが、私が見た2012年に公開された日本映画のなかではダントツで1位だ!!とにかく、レベルが飛びぬけている。

この映画を見た人がもっと多くいればこのランキングが大きく変動していたと思う。

 

ワーストテンは『希望の国』『ヒミズ』『アウトレイジ ビヨンド』を見ているが、『ヒミズ』は取ってつけた様な震災の取り入れ方はさずがにやりすぎだと思う。震災の影響で市井の人々のバランスが崩れたという話だったのかと疑問が残った。

逆に『希望の国』は良かった。大きな事件により、ある種マインドコントロール的に人々に変化が加わっていく。

映画芸術は園 子温が嫌いと言うことだけは分かる。

2011年『恋の罪』ワースト3位 『冷たい熱帯魚』ワースト6位

ただ2009年『愛のむきだし』はこの年のベストワンに選ばれている。

メジャーになった途端ランキングが下がる素直さが映画芸術のいいところでもある。

 

といろいろなことを考えながらこのランキングを見るのは毎年の楽しみになっている。

だが、今年はこれに続く特集

『追悼 若松孝二、その光と影の果てに』

がとにかく面白い!

前半の若松孝二に向けた追悼文ですでにあれ?ん?

と思うのだが後半の

『座談会 若松孝二の境界なき虚像と実像』

でその違和感は確信に変わる。

 

座談会の参加者は60年代から70年代にかけて若松プロダクションで働いていたメンバー7人。

座談会はそれぞれ若松孝二との出会いの話から始まり、徐々に過激な本音が飛び出す。

細かい内容は読んで楽しんでもらうとして。

何も知らない読者とて読んだ感想としては、若松孝二はケチで60年代の神格化した評価は若松孝二があごで使ったブレーンのおかげであり、映画をなめ腐っていたからこそ傑作を生み出させた。

晩年の若松孝二作品は総じてどうしようもなく、原因は才能の無いおじいさんにやりたいようにやらせているから。

若松孝二どんだけ最低な人間だったんだ・・・。

 

おもしろかったので一部抜粋する。

『自分のところで助監督をやったものを監督にするというのは、理由がふたつあるんだ。頑張ったから、褒章を与えるみたいなところがひとつと、自分がプロデューサー料をピンハネ出来て儲かるというのがもうひとつ。製作費300万円からプロデューサー料120万引かれて、『堕胎』なんて180万で作った。』

 

『足立:プロデューサーやった葛井さんに言わせると、ATGが600万、若松プロが600万で1200万なんだって。それをATGがだした600万だけでやって、それから若松がプロデューサー料をまた抜いて 高間:普通は1600万なんだけど、若松プロだから1200万なんだよ。それで、600万、600万のはずなんだけど、若松プロは全然出してない(笑) 足立:その600万から頭にプロデューサー料として200万は抜く。それはしんどいと思うよ。』

 

『巨匠といわれた養老院の老人を楽しませてるような映画の作り方になり、それで済んでしまっている 荒井:『17歳~』以降ね。 足立:映画ごっこ、養老院ごっこで、若松さんのやりたいように作らしてるというね。』

 

一番近くで戦ってきた人たちの言葉はやっぱり違う。

死んでなお出てくる言葉は、称賛より罵倒、こんな行き方ができる若松孝二はやっぱりスゴイ!!

『死刑弁護人』 真実はどこにもないあるのは偽りの真実

真実はどこにもないあるのは偽りの真実 

 

あらすじ:オウム真理教事件」の麻原彰晃、「和歌山毒カレー事件」の林眞須美、「名古屋女子大生誘拐事件」の木村修治、「光市母子殺害事件」の元少年。これらの死刑事件で、被告の弁護を担当してきたのが安田弁護士だ。死刑事件を受け負う弁護士が少ない中、「事実を究明してこそ、本当の反省と贖罪が生まれる」事を信念にしながら“悪魔の弁護人”と呼ばれようとも依頼人側に立ち続ける安田弁護士をカメラは追い続ける。

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死刑弁護人とはまさにこの安田好弘のことだ。

安田弁護士は、無罪を訴える被告人のことを信じ抜く。林真須美麻原彰晃に関しては冤罪だと信じている。

木村修治光市母子殺害事件の被告には、犯罪を認めているので、無期懲役になるよう弁護している。

 

世間的にあきらかな犯罪者を弁護する立場の弁護人は、国選弁護人に選ばれてしまったから

職業弁護士として従事しているだけだと思っていたが、仕事だから、とか弱い意思ではなく

自分の生涯と信念をかけて全力で取り組んでいる。(安田弁護士は麻原の弁護の際に別件で検察から家宅捜索を受けている)

 

和歌山毒カレー事件林真須美は、保険金詐欺で3億円を搾取しており、ヒ素を知人や旦那にもっている、これは誰の目からみても怪しい、怪しいどころか、犯人と断定して構わない気すら起きる。

だが、状況証拠しかなく、自供がないことから、安田弁護士は冤罪として、弁護に当たっている。

安田弁護士が冤罪として主張する理由はこうだ。

 

林真須美が鍋をきょろきょろと覗いていた目撃者の虚偽の証言。

→目撃者の当時立っていた場所からは見ることができない。

 

林真須美邸から発見されたヒ素は、検察の創りだした偽物の証拠。

ヒ素が入っていたと言うキッチンの下の棚、それを検察は家宅捜索の5日後に発見している。

隠してもいないのに5日後の発見とは遅すぎる。

 

・証拠として提出されたヒ素を混入したであろう、青い紙コップ。が偽物の証拠。

→証拠として提出された青色の紙コップの写真は当時白黒だったが、現物は普通の白紙コップで、証拠資料に青色の紙コップと書かれている事自体が偽物証拠ではないだろうか?

 

このような点から、安田弁護士は林真須美が冤罪として主張してる。

 

この映画おもしろいのがこの辺で誰もが知っている大悪党、林真須美がもしかしたら無実なのではないだろうか?

という気持ちがしてくる。

いや、そんなはずはない犯人は林真須美だ。

とすぐに気持ちはグラグラゆらいでしまう。

安田弁護士はマスコミは嫌い、事実を歪曲して伝えると主張しているが

では、この『死刑弁護人』は事実を歪曲して伝えてないか?

林真須美が無実である可能性のみを示して、検察の主張を一切伝えていないではないか。

本題からではないから、そんなものを伝える必要はないのかもしれないが

林真須美無罪説だけを唱えればそれを信じるひとがでてくるはず。

伝えるとは如何に難しいことかを考えさせられた。

作品をつくることとは、主張せずには成立しない作業なのかもしれない。

 

全ての事象には、真実があるけど、真実は作れるもので、絶対的に存在するものではないと感じた。

犯罪とは、裁判とは、死刑とは、この映画をみて、少しでも考えることができた。

 

自分の知っている事件とダイレクトにつながって、こんなにも考えさせられる映画(ドキュメンタリー)は今までに見たことがない。

死刑弁護人】絶対オススメです。

見れる機会は少ないと思いますが是非見て下さい。

 

 

死刑弁護人 生きるという権利 (講談社+α文庫 (G175-1))

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『苦役列車』丁寧につくる職人技

丁寧につくる職人技

 

あらすじ:1986年。中学校を卒業して以来、孤独な日々を過ごしていた北町貫多(森山未來)は、19歳の今、日雇い労働で稼いだ金をあっという間に酒と風俗に費やすようなその日暮らしをしていた。ある日、職場に専門学校生の日下部正二(高良健吾)が入ってくる。一緒に過ごすうちに、貫多にとって日下部は初めて友達といえるかもしれない存在になる。そんな中、古本屋に立ち寄った貫多は店番をしていた桜井康子(前田敦子)に一目惚れをする。日下部の後押しにより貫多はどうにか康子と友達になる。しかし友達という存在に慣れていない不器用で屈折した貫多の態度により、3人の間に亀裂が生じる……。

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原作の西村賢太は批判していたようだが十分楽しかった。おそらく、自分の作品をありふれた青春映画されてしまったことへの不満だろうと思う。

今作は、紛れもなく青春映画で、誰にでもありそうな平凡な話なのだ。

友達ができて、自我で友達を失い、恋をして失恋する。

使い古されてきたストーリー

小説は自伝的は部分が強い為自分史を汚された思いがしたのではないだろうか?

 

そんな単純な映画の勝機を製作者達は丁寧な作り込みに賭けた気がする。

徹底的な曇天狙い。

徹底して1980年を再現。

 

職場の工場で食べる弁当は、割り箸では無く、洗って何度もつかえるプラスチックの箸が使われている。

一方、社員食堂では割り箸だ。

プルトップが外れる缶コーヒー。

 

三人が海に入る。ザ青春のシーンでさえ、曇天と徹底されている。

 

森山未来はだらしない体作りをしているし、立ち姿は、右肩と左肩の高さが違いいかにもだ。

この役者は、見た目しか、映像に映らないことをよくわかっている。

 

後半から、主人公を叩きのめすストーリーが展開されるが、所詮19歳の若者、どんなに叩きのめした

ところで、客観的に見ると、いや君には未来がある、と思えてしまい。

悲惨さが伝わらいなと思いながら見ていたら

 

一気に3年となり、相も変わらずの生活をして、悲壮感がグッと伝わってきた。

ここらへん、脚本はすばらいしと思った。

 

そして、幻の高良健吾前田敦子、が出てきて、リアルをピョンと飛び越える。

最後は、突き放してきた、主人公に光明を与えて終わる。

 

ありきたりの話を、徹底した舞台作りと、演出、役者によってエンターテイメントとして成立させている。

山下敦弘がメジャーで作品を撮り続けていける所以はこの辺にあると思えた。

凄く、狡猾、監督である。

 

 

苦役列車 (新潮文庫)

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